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東京地方裁判所 平成6年(ワ)418号 判決

原告

株式会社日本写真新聞社

右代表者代表取締役

井坂弘毅

右訴訟代理人弁護士

岩月史郎

被告

株式会社少年写真新聞社

右代表者代表取締役

松本恒

被告

鳥居厚一

右被告ら訴訟代理人弁護士

篠崎正巳

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告らは、原告に対し、各自三〇〇〇万円及びこれに対する平成六年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が自社発行の中学校用「学校保健ニュース」等において、「エイズに感染すると死ぬ!!“純潔”を守ればエイズにはならない」との見出しのもとにエイズの危険性を警告する記事を掲載したところ(以下「原告記事」という)、被告株式会社少年写真新聞社(以下「被告会社」という)が発行する「SH」紙(SHCOOL HEALTH、以下「本紙」という)において、右記事が過度にエイズの恐怖を煽ったものであって、学校現場で原告に対する批判が続出している旨指摘した記事(以下「被告記事」という)を掲載したので、原告が被告会社と右被告記事執筆者である被告鳥居厚一(以下「被告鳥居」という)に対し、右被告記事により信用を毀損され、業務を妨害されるなどの損害を被ったとして、不法行為による損害賠償請求権に基づき慰謝料を請求する事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、写真新聞の発行及び書籍の出版を主たる目的とする株式会社である。

被告会社は写真新聞及び写真ニュースの発行を主たる目的とする株式会社であり、被告鳥居は被告会社の編集部長として本紙の編集を担当していた者である。

原被告会社とも、幼稚園、小中学校、高校等を対象とした写真新聞等を発行しており、業界全体の中で競業関係にあるものである。

2  原告は、中学校用及び高校用「学校保健ニュース」の平成五年三月五日号において、「エイズに感染すると死ぬ!!“純潔”を守ればエイズにならない」との見出しを載せたうえ、本文において「コンドームを使用しても、エイズの感染を完全に防ぐことはできません。純潔こそが、エイズを予防する唯一の手段なのです。年頃の異性と二人きりで喫茶店でお茶を飲んだり、部屋や車で二人きりになることは、不純異性交遊のきっかけになります。どんなやさしい誘いにも、絶対にのってはいけません。」旨記載した記事を掲載し、右原告記事を中学校、高校等に頒布した。

3  被告会社は、本紙を、小学校向け「小学保健ニュース」及び中学校、高校向け「保健ニュース」の付録として、養護教諭を主たる読者として定期的に発行しているものであるところ、平成五年五月八日付の本紙において、「SCHOOL HEALTH LIVE SHOT」と題して原告記事を写真入りで掲載し、「EXPLANTION OF SHOT」と題して別紙のとおりの被告記事を掲載し、小学校等に頒布した。

被告会社は右被告記事中において、「『怖いものには近寄るな』?」との見出しのもとに、原告記事を掲載し、「これに対して、購読校を中心に学校現場から批判が続出。広島県や大阪府などいくつかの教育委員会でも『HIV感染者に対する配慮に欠けた内容』という見解を出しました。『HIVと人権・情報センター』も『エイズに対する恐怖心のみをかきたて、同時に、感染者は無防備なSEXによる社会の落ちこぼれのように思わせる内容。結婚後、夫から感染したケースもあり、現実は純潔主義だけではとらえきれない』と問題視しています。(略)このような極限的な表現によって、エイズへの恐怖を子どもたちに煽ってよいものでしょうか。昨秋配付された、学校保健会『エイズに関する指導の手引き』改訂版では、感染予防のための教育と、感染者に対する差別や偏見をなくす人権教育の二つの指導を求めています。予防の知識のみに重点が置かれた指導では、児童・生徒が必要以上に不安を抱き、感染者へ偏見を持つ傾向がみられたからです。『怖いものには近寄るな』式の教育は、自分の身の安全には有効でも、将来ぬぐいがたい先入観を残します。小社のエイズ報道は、これから様々な人間との出会いを経験する子どもたちに、科学的な判断力と豊かな感受性を育てていくことを基本として展開していく所存です。」旨記載した被告記事を掲載した。

4  被告鳥居は、右被告記事の執筆者である。

二  争点

(原告の主張)

1 被告記事の名誉毀損性

原告の発行する写真新聞の読者と被告会社のそれとは読者対象が同じであり、被告会社の発行する本紙の学校関係者に対する影響力は大きいところ、その紙面において前記のごとき見出しを掲げて被告記事を掲載し、これを全国の小中学校、高校に頒布する行為は、その抽象的表現と相まって、学校関係者等に、原告がエイズに関する誤った認識を前提に過度にエイズの恐怖を煽った不当な報道をなしたものと理解させ、もしくはそのような印象を与えるものであり、原告の名誉と信用を毀損し、その営業を妨害するものである。

2 被告記事の違法性

(一) 被告記事は、「学校現場」などといった明確性を欠く中傷的表現を用い、原告記事及びこれを発行した競業会社の原告を誹謗、中傷し、被告会社の営業を有利にする目的で掲載されたものであり、虚偽と悪意に満ちたものである。

(二) 被告記事には、原告記事について「批判が続出」と事実無根の記載がなされている。原告記事に対しては賛否両論があったが、賛同する声が圧倒的多数であった。

また、「広島県や大阪府などのいくつかの教育委員会でも」とある部分も事実無根である。

(三) 被告会社の主たる発行物は、事実に対する正しい認識力の形成途上にある児童・生徒を主たる読者対象とするものであるから、その活動については慎重な注意を重ねることが要請されるものであり、被告会社の記事作成及び編集活動には通常人に求められる程度以上の注意が要求されるべきものである。さらに、被告会社の写真新聞等を購読する者は、原告のそれを購読していないのが通常であるから、被告会社としては、原告記事を完全に理解していない読者を対象にして右記事を非難する内容の被告記事を掲載する以上、その掲載に先立って、非難の対象たる原告記事の内容やその掲載意図等を原告から十分に取材しておくべきであった。

しかし、被告会社は、原告への裏付け取材等の十分な事実確認を怠っていた。

3 損害

原告は、被告らの前記の不法行為によって、写真新聞等の購読を途中で打ち切られたり(右による売上げ減少分は一八四万二〇〇〇円にのぼる。)、全国の養護教諭等から事実確認や抗議の電話が殺到したため六名の社員を一〇日間に渡ってその対応に割かなければならなくなり業務が停滞するなどの営業上の損害を被り(右の人件費の損失だけでも七二万五七二五円である。)、また、信用を毀損される損害を被った。

被告らの右不法行為によって原告の受けた右損害に対する慰謝料としては、三〇〇〇万円が相当である。

4 よって、原告は、被告らに対し、各自三〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成六年一月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの主張)

1 被告記事の名誉毀損性

被告記事は、原告記事について、通常かつ穏当な表現により、事実の報道と論評をなしたものにすぎず、原告の信用を毀損し、その営業を妨害するものではない。また、被告会社は、被告記事を全国の小中学校、高校に配付したものでなく、購読校に頒布したにすぎないうえ、被告会社の写真新聞等を購読する学校及び教諭は、原告のそれを購読していないのが通常であるから、被告記事の掲載・頒布によって、原告の営業が直接に影響を受けるものではない。

2 被告記事の違法性

(一) 被告記事は、原告及び原告記事の誹謗、中傷等を目的として掲載したものではなく、原告記事に対する社会的な反応及び被告会社のエイズ報道に対する姿勢を示す目的で右記事を論評したものにすぎない。

(二) 原告記事に対して、学校現場から批判が続出したこと、広島県や大阪府などいくつかの教育委員会から右記事がHIV感染者に対する配慮を欠いた内容であるとの見解が示されたこと等、本件記事に摘示された主要な事実は、いずれも真実である。

(三) また、被告記事は、原告記事に対する社会的な反応及び被告会社のエイズ報道に対する姿勢を示す目的で右記事を論評したものにすぎず、原告記事そのものの事実は明らかであるから、本件記事の掲載に先立って、原告に対し、裏付け取材をしなければならない点はない。

3 損害

原告の主張は否認する。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告記事の名誉毀損性)について

前記争いのない事実によれば、本件記事は、原告記事を掲載したうえで、これに対して購読校を中心に学校現場から批判が続出していること、広島県や大阪府などいくつかの教育委員会から右記事がHIV感染者に対する配慮を欠いた内容であるとの見解が出されていること等を摘示するものであるところ、これらの事実は、「『怖いものには近寄るな』?」との見出しとも相まって、原告が不適切な報道をなしたとの印象を与える内容のものといえないこともないから、一応原告の名誉と信用を毀損するものと認められる。

二 争点2(被告記事の違法性)について

1 公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、右批判等により対象者の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつその前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきであるところ(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二五二頁参照)、甲第一、第二号証、乙第一ないし四号証、第六号証及び被告代表者尋問の結果によれば、エイズ問題及びその予防方法については当時学校関係者のみならず一般市民の間でも大きな関心事になっていたこと、そしてこの点について純潔教育等を強調した原告記事に対しては、全国各紙もこれを批判的に報道するなど大きな議論を呼んでいたことが認められ、被告記事の前記内容にも照らすと、右のような原告記事に言及した被告記事の掲載・頒布行為は、右エイズの予防方法及び子どもへのエイズ教育のあり方という公共の利害に関する事項についての批判、論評を主題とする意見表明であり、かつ専ら公益目的に出たものであると認めることができる。

この点、原告は、原告と被告会社とが競業関係にあることから、被告記事は、被告会社が原告及び原告記事を誹謗、中傷し、被告会社発行の写真新聞等の売上を拡大する目的で掲載されたものである旨主張し、甲第一〇、第一一、第一三号証及び証人志村巳喜夫の証言中には右主張に添う記述・証言部分もあるが、前記各証拠及び乙第八、第九号証によれば、原被告会社の他にも学校を対象とした写真新聞を発行する会社が複数存在し、原告発行の写真新聞の購読契約が解除されたからといって、直ちに被告会社発行の写真新聞の購読校が増加するといった関係にはないこと、また、被告会社は、原告の営業を妨害する意図で本件記事を掲載したとの誤解を避けるため、わざわざ原告発行の写真新聞の購読契約の更改時期以後に本件記事を掲載していることが認められ、これらの事実に照らすと、右甲各号証及び証人志村の右各記述・証言部分は採用することができず、ほかには原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2 そこで、次に本件記事が前提としている事実が主要な点において真実であるか否かを検討するに、乙第一ないし四号証、第六、第八、第九号証及び被告代表者尋問の結果によれば、原告記事に対して学校現場から批判が続出していたこと、広島県や大阪府の教育委員会のほか数か所の教育委員会において右記事がHIV感染者に対する配慮を欠いた内容であるとの意見を表明していたことはいずれも真実であると認められるうえ、甲第一〇、第一三号証及び前記証人志村の証言によっても、原告記事に対する全国各紙の批判的報道から本件記事掲載までの間に、原告に対して学校関係者からの批判が寄せられていたことが認められるから、本件記事が前提としている事実の主要な点はいずれも真実であると認められ、また、本件記事を全体として考察すると、主題を離れて原告の人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱しているということもできないから、本件記事の掲載・頒布行為は、名誉侵害の違法性を欠くものというべきである。

なお、右の各教育委員会が原告記事について批判的な意見を表明していたことに関し、被告記事中の右各教育委員会が「見解を出しました」との記述部分については、その表現方法に若干の不正確さがあることは否定できないが、右記述部分の主要な事実関係については前記のとおり真実性が認められるものであるから、右表現方法の不正確さも前記の判断を左右するものとはいえない。

右の点に関し、原告は、被告会社は、事実に対する正しい認識力の形成途上にある児童・生徒を主たる読者対象とし、かつ原告記事を完全に理解していない読者を対象に右記事を非難した本件記事を掲載したものであるから、その掲載に先立って、原告に対し、非難の対象たる原告記事の内容やその掲載意図等を十分に取材しておくべきであったと主張する。しかし、本件において、被告記事に虚偽の事実を記載したという部分は認められず、専らエイズ教育等のあり方に対する意見表明が被告記事の主眼であることは前示のとおりであるうえ、被告記事中には写真で原告記事が正確に掲載され、原告記事の内容が正確に読者に伝わるようになっているのであるから、それ以上に被告らに原告記事の掲載目的等を裏付け取材すべき注意義務はないというべきであり、この点に関する原告の右主張は採用することができない。

三  以上によれば、被告記事に原告主張の違法性を認めることはできないから、原告の被告両名に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

よって、原告の本訴請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大和陽一郎 裁判官齊木教朗 裁判官菊地浩明)

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